B級グルメ

京都市大阪市の中間に位置する人口約35万人の大阪府高槻(たかつき)市に、ちょっと変わったご当地グルメがある。皮に包まない「高槻うどんギョーザ」だ。だれが考案したかは不明だが、うどんを細かくカットしてひき肉などと混ぜて焼き、一見小ぶりなお好み焼きにも見える。普及を目指してきた「高槻うどんギョーザの会」は今年で結成10年。ご当地グルメが集まる「B-1グランプリ」の主催団体への加盟が昨年、府内で初めて認められ、初舞台となったギョーザの本場・中国でのイベントは大盛況だった。会長の栫(かこい)廣美さん(69)は「中国で認められたことは大きな自信になった。全国にこの味を広めたい」と話す。(張英壽)

皮なしの意外性 中国では行列、声あげる

 昨年10月28、29の両日、中国・東北部の大都市・瀋陽(しんよう)市で開かれた「日中国交正常化45周年×B-1グランプリ2017in中国瀋陽」。このイベントが始まると、高槻うどんギョーザのブースでは、現地の人たちが順番を待つために長い列をつくり、1日目は準備した150パック(1パック2個入り)、2日目も350パックがすべてなくなったという。

 高槻うどんギョーザの会は昨年6月、「B-1グランプリ」の主催団体に加盟が認められた。その初舞台がこのイベントで、「小樽あんかけ焼そば」(北海道小樽市)や「今治(いまばり)焼豚玉子飯」(愛媛県今治市)、「越前坂井辛み蕎麦(そば)」(福井県坂井市)などほかの10種類のご当地グルメとともに、無料提供された。

 その中でも、高槻うどんギョーザのインパクトはとりわけ強かった。本場の中国だけでなくギョーザといえば皮に包まれているイメージがあるが、その皮がないという意外性に注目が集まった。

 高槻うどんギョーザのブースでは、栫さんら会のメンバー5人が調理。集まった中国人は、鉄板で焼く様子を声をあげながら見ていたという。本番の「B-1グランプリ」のように人気投票は行われなかったが、2日間とも、若い人からお年寄りまで幅広い年齢層の男女が訪れ、同じ人が何度も並ぶこともあった。行列が途切れることはなかったという。

 中国では、ゆでた水ギョーザが一般的で、皮は欠かせない。栫さんはイベント前、「何か言われないか。バカにされるのではないか。どんな反応をするかすごく心配だった」というが、結果は予想外の大反響で、胸をなでおろした。「基本的な味は中国のギョーザと一緒。おいしいものに国境はないことがわかった」

 「B-1グランプリ」に参加すれば、各地で開かれるイベントでPRできる。主催団体加盟を目指してきた高槻うどんギョーザの会は長年の活動が認められ加盟が実現。その初舞台は、会にとって大きな自信となった。

主婦らの親睦会から広まる、考案者は不明

 高槻うどんギョーザは昭和50年代に市北部で主婦らの口コミで広まったとされる。

 実は栫さんは、広がるきっかけとなった会合に出席していた。昭和58年頃で、栫さんが暮らしていた市北部の主婦らが集まる親睦会だったという。そのうちの一人の女性がつくり方を教え、栫さんが食べてみたところ、「おいしかった」という。親睦会が行われたのは同市塚原で、塚原のほか、同じ北部の阿武野(あぶの)や南平台(なんぺいだい)に広まり、家庭料理として定着していった。当時は「高槻」をつけずに「うどんギョーザ」と呼ばれていた。

 息子1人、娘2人がいた栫さんも子供につくってあげた。「息子は特に好きで、しょっちゅう食べていた。高槻うどんギョーザで大きくなったようなもの」と笑う。

 高槻うどんギョーザの会が作製した冊子「たかつき大好きBOOK」によると、「『ひき肉とニラ、うどんを合わせて焼いたら、餃子の味になる!』『皮で包む手間のない簡単レシピの餃子(ぎょうざ)』と、主婦の間で口コミで広まったことがルーツ」と記されている。

 この冊子では「公式レシピ」も紹介している。材料はうどんのほか、ニラ、生シイタケ、豚と牛の合いびき肉、ごま油、すりニンニク、卵など。ニラと生シイタケは1センチくらい、うどんは1〜2センチくらいにカットし、肉や卵などを混ぜてから、うどんを入れるとしている。ホットプレートや鉄板で焼き、たれはポン酢などお好みだ。

 できあがったものは直径6センチほどで、小さなお好み焼きにも見える。皮で包んでいないものの、栫さんは「うどんがつなぎになっているため、崩れない」と強調する。また普通のギョーザは豚ひき肉だが、合いびき肉を使うのは、「豚だけだとクセが出るけど、牛を入れると、うまみが増す」という。コツは「肉や卵などを混ぜる際にねばりが出るまでやり、30分から1時間ほどねかせ具をなじませること」。こうすることで、焼くときに具がしっかりとしてバラバラにならないという。

 ところで、この料理は誰が、いつ、つくり出したのだろうか。親睦会で教えた女性はレシピを伝えたが、考案したわけではない。女性も知り合いからつくり方を教わったというが、その知り合いはすでに引っ越しており、これ以上はたどれない。

 「いろんな人が調べたようですが、いまだにわからない」

 栫さんも不思議がる。ギョーザの皮がなく、手元にあったうどんで代用したという場面が想像できるが、考案者は不明。高槻ではなく、別の場所で生まれた可能性もある。高槻うどんギョーザは最近、マスコミで紹介されることも多いが、その起源は謎のままになっている。

地域資源の発掘で注目、会結成し名称に「高槻」

 うどんギョーザは市北部の家庭で親しまれてきたが、JR高槻駅や阪急高槻市駅がある中心部では知られていなかった。家庭で子供たちに食べさせていた栫さんは平成13年からJR高槻駅前で、創作料理店を経営し、メニューの一つにうどんギョーザを加えた。市内で提供していたのはこの店だけだったといい、客の人気を集めて評判になったが、18年末に閉店した。

 こうした中、隠れた地域資源を発掘する「高槻ブランド推進会議」が20年にうどんギョーザに注目し、栫さんに協力を依頼した。栫さんは快諾し、同年10月に市民団体として「高槻うどんギョーザの会」を結成。このとき、初めて料理名の前に「高槻」を入れた。そして市内の飲食店に提供してくれるよう協力を要請。まず2店が取り入れ、現在は20店舗がメニューにしている。会員は当初、栫さんと当時38歳だった長女だけだったが、現在は飲食店関係者や主婦ら35人に増えている。

 メニューに取り入れている市内20店舗は店頭に、「高槻うどんギョーザの会」と大きく書かれたのぼりを掲げている。のぼりは会が公認している証しで、講習を受けて正式な調理法を学んでいる。

 市民は、この高槻うどんギョーザに親しんでいるのだろうか。阪急高槻市駅前で、聞いてみると、「家内がつくってくれて家で食べる」「お弁当に入れている」など好意的な声が聞かれた。

 小さな娘2人を連れていた会社員の女性(42)は「飲食店で食べたところ、おいしく、家でもつくるようになった。つくり方はネットで調べました」という。

 「家内がつくってくれます。家で2、3カ月に1回くらい食べます。おいしいですね」と市内の無職男性(68)。普通のギョーザと高槻うどんギョーザのどちらが好きか聞くと、「両方いいところがあるけど、うどんギョーザのほうがあっさりしている」と答えた。

 「お母さんがつくってくれる」という高校2年の男子生徒(17)は「普通のギョーザよりうどんギョーザのほうが好き。ボリュームがあるから」と語った。

 高校3年の女子生徒(18)も母親がつくるうどんギョーザを食べており、「たまにお弁当に入っている。同じようにお弁当に入れてくる友達もいる」と教えてくれた。

 一方、市内に住んでいながら「見たことも食べたこともない」「知っているけど、そんなに食べたくない」と答える人もいた。

昨年初参加の「B-1」入賞入らず

 「高槻うどんギョーザの会」結成から今年で丸10年。イベントや祭りなど、市内外で出店し、おいしさをPR。冷凍食品のネット販売も行い、市外への普及にも力を入れている。

 会は昨年11月25、26の両日、兵庫県明石市で開催された「2017西日本B-1グランプリin明石」に出店。2日間とも行列ができたが、投票の結果、上位5位に入ることはできなかった。

 「鉄板3枚を持っていたんですが、それでもフル稼働の状態。4枚持って行くべきでした。また、お客さんが待っている間、退屈しないようにしないといけないんですが、それができず、『おもてなし』の面でも不足していたと思う」

 栫さんはそう自戒し、次の「B-1グランプリ」に向けて熱意を燃やす。「ゆくゆくは高槻市内のどの飲食店に行っても『高槻うどんギョーザ』が出てくるようにしていきたい。テークアウトができる専門店も出てくれば」と抱負を語る一方で、「もうすぐ70歳。バトンタッチできる人を探したい」と話した。